1979-12-06 第90回国会 衆議院 議院運営委員会 第6号
○広瀬委員 倉石法務大臣にまずお伺いをいたしますが、あなたは十一月九日大平内閣成立後の初閣議、その直後の記者会見で、法相として進行中のロッキード公判をどう考えているか、公判と法務大臣の権限は一線を画す、そういう関係にあることは当然であるけれども、国民として法相のお考えを聞きたいという記者の質問に対して、事件に関連したと言われる人は私どもと懇意な人々であり、公明正大で青天白日になられることを友人として
○広瀬委員 倉石法務大臣にまずお伺いをいたしますが、あなたは十一月九日大平内閣成立後の初閣議、その直後の記者会見で、法相として進行中のロッキード公判をどう考えているか、公判と法務大臣の権限は一線を画す、そういう関係にあることは当然であるけれども、国民として法相のお考えを聞きたいという記者の質問に対して、事件に関連したと言われる人は私どもと懇意な人々であり、公明正大で青天白日になられることを友人として
大平内閣成立直後の十一月九日、閣議決定を経て綱紀粛正の七項目の方針が各省庁に出され、また十一月二十六日、官房長等の申し合わせも行われております。これらの通達文書等を見て私が感じる第一の印象は、最も重要な問題の解決からこれは逸脱しているということであります。もっと言えば問題のすりかえがある。
私は、十一月第二次大平内閣成立以来、あなたの御就任について、政治家のあり方として、また大臣の御就任をなさるかどうかのあり方としてかねがね疑問に思っていた点をいま率直に申し上げたわけであります。 あなたは、あれですか、どうしてもこの自治大臣・国家公安委員長に就任せざるを得ない、そういういろいろなかかわり合い、どうしても就任しなければならないというかかわり合いがあったわけですか。
初めに、私は、さきの解散、総選挙から第二次大平内閣成立までの四十日間にも及ぶ自民党内の権力抗争によって政治の空白をつくり出した大平総理の責任を問わなければなりません。
○森山国務大臣 大平内閣成立に際しましては、はからずも運輸大臣を拝命いたしたわけでありますが、いままで余り運輸行政に深入りしたことはありません。また、運輸省の建物にも余り行ったことはないのですから、その意味では、非常に物をよけい、よく知っていることもいいことでありますが、余りとらわれないということもまた半面の長所にもなろうかと思っております。
努力をされるというならば、大平内閣成立後に、一月にでも少なくとも第二次補正ぐらい組むのは当然でございますね。何かおやりになったのでしょうか、最大限努力したとおっしゃる意味は。何もやってないんじゃないでしょうか。福田さんも九月以降何もおやりにならなかった。大平さんも何もおやりにならなかった。そうじゃありませんか。
大平内閣成立以後に、七%を公的に六%にしたということは何ら申したことはないと私は記憶しております。
○横路委員 それは、法律制度あるいは裁判制度の枠組みから言えば、いまのような質問ということにはならないわけですけれども、ただ、大平内閣成立のときの国民の反応というのを、町の声なんかをテレビで見たり、新聞なんかで見ていますと、そういう心配をしている人がたくさんおられるわけです。
したがって、田中派が大平内閣成立に協力したのは、現在進行中の元田中角榮総理の裁判を有利にするためだというような話があって、それだけに世の中でも一体法務大臣をだれにするのか、その法務大臣がどういう方針を持つのかということについては非常に大きな関心が持たれておるわけでありますが、新法務大臣として、ロッキード事件というものについて、まず一人の政治家としてでも結構ですが、どういうお考えを持っているのか。